育成普及部スタッフの高橋です。今回は、本当は誰もが持っている個性や才能について考えてみようと思います。

自慢じゃないですが、私は勉強ができるわけでもなく、いい大学に行ったわけでもありません。

自慢じゃないですが、私は音楽を心から楽しむことを知っていて、この世の美を愛しています。

才能とは何でしょうか。

個性とは何でしょうか。

才能とは、円周率をすべて言えることでしょうか。

個性がないことは個性ではないのでしょうか。

才能がすべて学校の教科だけだと思っていませんか?学校で教わることが全てではないということをこの文章を通してお話していきます。

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世の中ではしきりに、夢を持とうとか、やりたいこと見つけろと言われますが、果たしてどれほどの人が自分の情熱から個性や才能を使っているでしょうか。

この世では評価されない才能が多すぎます。そして、誰もその才能の見極め方を知りません。

お金が稼げないものは才能ではないという考えが多すぎます。

世間で言われる「才能」とは学校で教えられるベートーヴェンの音楽とゴッホの絵です。マスコミやテレビで取り上げられるものだけが「賞賛されるべきもの」です。

あなたは花の美しさに感動したことはありますか。

様々な色を持ち、淡いグラデーションを描き、しなやかな花びらをつける花。ゴッホが描いたのも、ベートーヴェンが作った曲も、彼らが見たものからインスピレーションを得ています。

それらはすべて、すでに自然界にあるものをもとに表現されたものです。

音楽界では、ラヴェルの「水の戯れ」という作品は、まるで本当に水が戯れているかのように聞こえてきます。

では、彼らがインスピレーションを得た元の「モノ」は何でしょうか。

その「モノ」を作った人を称賛した人を見たことがありますか。

例えばゴッホが描いた花。そのときにゴッホが見ていたその花に何億円という値段が付けられたことはありますか。

その花を作ったのは誰でしょうか。

太陽であり、土であり、水だともいえます。二酸化炭素と窒素とリンとも言えるかもしれません。

これらのものをも全て含めて言えば、神と言えます。太陽がのぼり、土がゆっくりと循環し、水が高いところから流れているのを許し、支配しているのは神です。

人間が一匹の鳥を取ろうとして、銃で撃ちました。その鳥が人間に撃たれて人間の食物となることを許したのも、また神です。

 

視点をずっと宇宙空間に引き上げていくと「神的な視点として、地球で暮らす人間たち」が見えるとします。

それは「人間の視点から見た、アリたち」と同じだとします。

 

人間がそのアリたちに、角砂糖を与えるのが簡単なように、神が人間に褒美を与えるは簡単です。

これと同じような原理で、神様は人間に才能・個性を与えました。

働きアリがいて、女王アリがいます。中には、鋭い牙を持ったアリがいたり、体の大きなアリもいれば、小さい体ながら強力な団結力を持つアリもいて、空を飛ぶアリもいます。

要するに、個性や才能があるということです。様々なアリだけど、それぞれの得意分野の才能や個性で生きているということです。

なぜ、そのような個性や才能があるのか、という答えを人間が知ることはできません。神様のみが知ることです。

それは、人間の言葉がアリに通じることがないことと同じです。

しかし、そこには意味があるのは確かです。少なくともそれによって自然界が回ってるからです。そのように見ると、アリ以外にも自然界には多くの役割を持ったものたちがいます。

死んだアリは土に分解され、その土は木々を育てます。その木から人間は紙を生成し、日常に欠かせないものとなっています。木は殆どの鳥にとっては、自らの家であり、リスにとっても、また人間にとっても同じです。

このように木にも役割があり、言ってしまえば、すべてのものに役割があります。同じように、人間もすべて一人ひとりにそれぞれの関係性の中で、役割が与えられているということになります。そのような法則がこの世界には働いているということがわかると思います。

だから、誰にでも才能は与えられているということです。

しかし、人間だけが、その才能を「開花させる」という選択と「開花させない」という二通り選ぶことができる「自由意志」が与えられました。

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毎日情熱を持ってギターを引けば、誰でも上達します。

毎日情熱を持ってボールを蹴っていれば、蹴ることが上手になります。

しかし、人間は自由意志があるので、やめることもできます。

ボールを蹴ることを10年した人と、5年目で辞めた人では11年後に一緒にプレイした時に大きな差がつくように、辞めてしまえばその分上達はしません。

同じ10年でも、ボールを蹴ることに100種類の変化をつけることに執着した人と、100通りのドリブルに執着した人はその個性が違ってきます。

かたや、フリーキックの名手となるかもしれませんし、かたや、世界一のドリブラーになるかもしれません。

それはギターを弾くことでも、絵を描くことでも、挨拶をすることでも同じです。

一つの方向に執着してやれば、やった分だけその力は磨かれていきます。

しかし、続けるには、やってもやっても飽きないものである必要があります。

このように、才能は見つけて続けることができれば、誰もが伸ばすことができます。しかし、社会的に価値がないからと磨かない才能が多いです。どうせやっても役に立たないから、とやらないことが多すぎます。

バンドをやったけど、誰からも聴いてもらえないと辞めてしまったら、その後に開花するかもしれなかった才能も潰れてしまいます。ドラムを叩いていたからリズム感が磨かれて、時間管理をすることに才能が開かれることもあるかもしれません。

自分にどんな才能があるのかは、周りが評価するものです。本人がわかるのは、やっていて楽しいことだということくらいです。

遠くない将来ウェブの発達により、世界中でこれまで誰も見たことのないような才能が、そこここで開花して、それを評価し合える世界が来ることになるでしょう。

殆どの人がスマホを持つようになったのはここ数年の出来事です。数年前に、自分がスマホを手にしていると予測していた人がどれだけいるでしょうか。スマートフォンやウェブの発達は今度殆どの人が予想できない方向に進むはずです。

生まれたときからITに囲まれた子どもたちの心情を、生まれたときにITに囲まれていなかった大人が理解できるはずがありません。それが摂理です。

人間が心の底で考えていることは実現していくものです。家族という生活形態と労働の長時間化で、気が合う人といつでもつながりたいと求めたことにより、人々はスマートフォンを得たといえます。

失業率が高いのは、働きたいと思える魅力的な仕事がないということでもあります。既存の仕事でなくても、自分の得意な分野でお金を稼いで暮らせていける。その言葉を聞いて心が動かない人がいるでしょうか。

年齢に関係なく、自分が情熱を持っているものを、育てていってほしいと思っていますし、我々プリマヴェーラジャパンがそのような場を作れるようになれば更に喜ばしいことです。

最後に、個人的に曲を作っています。もし興味があれば聞いてみてください。音楽でお金が稼げなくても、音楽を作り才能を伸ばすことは許されています。