「たった一人で世界を変えることもできる」

このことをどれほど心から信じれるでしょうか。

このことをどれほど本気で実践できるでしょうか。

育成普及部スタッフの高橋です。

 

私も、数年前まではそんなことはできないと思っていましたが、今ではそれができることを知っています。

自分の才能の見極め方を知っていれば迷うことはありませんし、そのことを信じれずに躊躇し、心の底から「たった一人が世界を変えることもできる」ということを信じれなければ、何も成し遂げることはできません。

少しでも疑念が入り込めば、達成することはできません。それは才能を見極められないということです。

どうすれば迷わず、才能や個性を見極めることができるのか、どうすれば才能を伸ばすことができるのかについて、お話しさせていただきます。

スポンサーリンク

 

世の中の価値観を一旦忘れることがはじめの一歩。

もしあなたが絵を描くことが好きな場合、その分野で成功しようとすると、必ず誰かが夢の実現に向けて一生懸命に向かっているあなたを邪魔します。

そのときに、あなたが相手の価値観に合わせた瞬間にあなたの夢は消え去ります。ゼロからやり直しです。

ですから、例え、今は何もできなくても、他人に邪魔されないように自分の信じる道をゆく信念が必要です。たった一人でやる切るという信念が必要です。

友達と一緒に何かの才能を伸ばすといった場合、どちらかが続かなくなる場合がほとんどです。だから、たった一人で、本人がそのものに熱中できる部分を見つけることができていないものでは、成功することはできません。

最終的には個人個人、一人ひとりの生まれ持った感覚・資質に沿った個性や才能を伸ばすことで、満ち足りた人生を過ごすことができるのです。

 

スポンサードリンク

 

1.報酬→2.才能の順番ではなく、

1.才能→2.報酬の順番でやってくるものが本当の成功

 

宝くじは突如としてお金が舞い込んできます。

その人自身に何も才能がなくてもお金を出してチケットを買うだけで、報酬が得られるという仕組みのものです。

 

しかし、ここで言う個性や才能は自分自身に才能を身に着けてから、その後に報酬が与えられるものです。

それが、才能を得る唯一の方法です。これ以外に方法はないという真理です。

 

最初から地位や名誉やお金を求めて得る人は、必ず最終的にはそのお金の扱いがわからず破滅することになるのです。お金の扱い方を先に身につけるべきだったのに、扱い方がわからないものを貰って手放すのです。

 

これこそが、「豚に真珠」という意味です。

 

最初に才能を身につけておけばその扱い方がわかるので、その才能で報酬が得られるようになったときに、どうすればいいかがわかります。

人を喜ばせることでお金が貰える場合、その才能を使って人が喜ぶことをすればいいということがわかります。

このように、まずはじめに才能や個性を身につけて報酬を貰えば安心で、富を失うことはありません。

しかし、殆どの人は最初に報酬を得ようとします。

「大手企業に就職すれば安心」と言うのは先に報酬を得ている状態です。

だから、早く才能を身につけるため、入社後に先輩から何を言われても、歯を食いしばって食らいついていかなければならないのです。

だから、やってみた仕事に何も熱中できる部分を見つけられない場合、退職することになるのです。

 

ただ単純に熱中できるものにこそ、

あなたが極めるべき個性や才能のヒントがある

 

全く情熱もなく技術的にレベルの低いもので、世界を変えるようとしても成し遂げることは不可能です。誰もが素晴らしいと認めるようなレベルにならなければいけません。

言い換えれば、誰もが認められるレベルになるまで、技術や実力を磨けばいいということになります。

そうすれば、誰もが才能を発揮して世の中で活躍できるということです。それは長い道のりかもしれませんが、誰でもできることでもあるとわかるはずです。

「熱中できるもの」これが自分が極めるべきものを決める際の基準です。

Salar_de_Uyuni_2013

私は、小学校の頃、給食の時間に流れるクラシックの曲をよく口ずさんでいました(担任の先生と親がそう話しているのを聞いて気づきました。

 

私にとってはごくごく自然で当たり前のことだったので言われるまで気づきませんでした。

さらにいえば、このようにそのことの意味を理解できるようになったのはごく最近です)

 

それが、楽しいとか嬉しいとか感情的な部分ではなく、理屈でもなく、そうすることが私にとって当たり前だったからです。だから、今でも1円もお金には変わらないけど、音楽をし続けているのかもしれません。

 

続けて私ごとですが、人の輪に入るという行為が、生まれてこのかた苦手であり、

一向に上達しません。

 

だからこそ、カメラを構えて「どうすれば見る人にこの感動が伝えられるだろう?」「どうすれば、驚きを与えられる映像を撮れるだろう?」と考えて物事を記録して動画を作ることが好きなのかもしれません。

しかし、その熱中できるものをする時間を邪魔する人が現れることが多いです。

 

そんなことして何が楽しいの?お前の稼ぎじゃどーせ無理だろ?人の輪に入れるように訓練したほうがいいね。

 

このように、世の中はごく当たりまえに「あなたのことを思って」という親切心を携えて才能を破壊しにきます。

 

ごく当たりまえに「あなたのことを思って」という親切心を携えて夢を中断させます。

ごく当たりまえに「あなたのことを思って」という親切心を携えて個性を潰しにきます。

 

負けないためには、何よりも信念がなければ続けることはできません。そして、あなたが思う信念というのは人間の領域の信念です。その信念のままでは何も成し遂げられません。

宇宙規模の信念、人間の一般常識から壮大に、遥か彼方にあって見えないほどの信じがたい大きさと強度の信念でなければいけません。

 

それは、神の領域とも言えます。

 

実際に人類は壮大で、不可能に近いようなことでも信じることで様々なことを成し遂げてきました。

聖書ではこんな話があります。

朝早くそばを通っていた時、彼らはあのいちじくの木がすでに根もとから枯れているのを見た。 それでペテロが、思い出して彼に言った、「ラビ、ご覧ください、あなたがのろわれたいちじくの木は枯れてしまいました」。 すると、イエスは答えて彼らに言われた、「神に信仰を持ちなさい。 あなた方に真実に言いますが、だれでも、この山に向かって、『持ち上がって海に入れ』と言って、心の中で疑わず、自分の言うことは起きるのだという信仰があるなら、その人にはその通りになるのです
[マルコによる福音書 11章20-23節]

聖書は比喩的に表現したものがほとんどなので、この話もあくまで比喩として伝えています。実際に信念だけで山は動きません。実際に行動が伴わなければいけません。

人類はこれまでにたくさんの鉱山を切り開いて、生活を豊かにしてきました。

富士山を一人でほっていくのは確かに無謀なことです。しかし、シャベルを持って掘ることは誰でもできます。しかし、誰もしません。

山を掘っていけば、高値で売れる鉱石や、住居に欠かせない素材を採ることができるとは考えつきません。

そんな常識の中、非常識にも、この山を掘ればきっと何かがある!と(考えたかはわかりませんが)、とにかく掘り出した人がいたとします。最初は一人でしていた作業ですが、その行動を見て一緒になって山を削る人たちが現れ、実際に宝石や素材を手に入れたとしたら、その人達は、自らの信念と絶え間ない努力により宝石を発見して報酬を得たのです。

毎日作業をしていると、この方法よりこっちの方法が良い、こっちの方法が効率が良くて楽にできる。こんな道具を使えばもっともっと早くできる、と言った具合に次々とアイデアが生まれます。そうして、クレーンという巨大な機械を作り出すこともできました。

彼らは、才能を得たあとに、報酬を得たのです。

しかし、そこで一般常識の声を聞いてしまえばたちまちその人達はすべてを否定され、作業を止めてしまうでしょう。

こんなでかい山削れるわけ無いだろ!

 

と頭から否定していたら、美しい大理石やダイヤモンドなどの宝石は見つけられず、人々がそれを見て楽しむ事はできません。

このように聖書では度々、信じるものが救われ、信じないものが救われないということが何度も描かれています。

ある人は病気が治ることを疑わなかったから難病のようなものでも治癒しました。今でも、末期ガンを自分の意識を変えただけで治したという話はよくあるものです。

海の上を歩いていたキリストをみて弟子の一人が湖の上を歩こうとしたけど、わずかに恐れを持ったために渡ることができなかった、という話があります。これもまた、僅かな疑念があるとどうなるかということを比喩的に表現しているのです。

このように、私達には信じる力によって不可能を可能にするということができるということを知りました。あとは実践するだけです。

常識にとらわれずにチャレンジして学んでいく。このようなことを積極的に、当たり前にでき、誰もがそれを応援するような日本にしたいと心底、願っています。

スポンサーリンク