育成普及部の高橋です。

パソコンやスマホを使って簡単に曲が作れるようになった現在では、興味と熱意が、上手いか下手かの基準であることがより明確になってきたのではないでしょうか。

どこまでも芸術は人間にとって感性を高めるものだと思います。感性を高めるということは「目の前で起きていること以外について感じるという力」があることです。

わけがわからないものが芸術性の高いものではなく、わけがわかって、しっかりと心に何かを残すものが芸術であり、しかもそれはただの感動というレベルのものではなく、生活をも変えるような衝撃があるもの。

それが目指すべき芸術や文化と言われるものが本来担うもののはずです。

今回は、先日参加させていただいた、タエバレエスタジオ主催の「バレエとピアノのコンサート」で感じたことを書かせていただきます。

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「プロもアマも、上手いも下手も、老いも若いも。」

今回この舞台をカメラマンとして参加させていただいて、まず、このような会が行われるということがすごいことだと思いました。

この会の意味は人それぞれ違うと思います。

きっと小さい子は何が何だかわからないまま、言われたことをやっていたかもしれません。プロの方は、ただ善意から、もしくは、友人と楽しいことをやりたいという思いだけからやっている方もいたのではないかと思います。

それぞれ、思っていたことは違っていたかもしれませんが、公演を成功させようとする気持ちは誰もが持っていたはずです。

個人的には後日、主催者の松田多恵子さんとともに、録画された発表会の映像を見ながら、演者としての裏話や解説を聞きながら、もう一度見ることができて、その時起きていたことや、どのような思いで臨んでいたのかということを知ることができて、また違う視点で「バレエとピアノのコンサート」を楽しむことができました。

大きな催し物であればるほど、そこには、人の「気」がたくさん宿って、ステージ上からはものすごい「気」やが発せられます。

そのような会に参加させていただけたという経験は、個人的には非常に貴重なものでした。

プロとアマの垣根が低くなる時代。形式より、熱意を見る時代

なぜ人は、音楽を演奏したり、踊ったりするのか?とたまに考えます。

自分でもギターを弾いたり、音楽を作ることが好きなのですが、なぜ作るのかと言われれば、それはもう楽しいからとしかいいようがありません。(もちろん作りたくない時もありますが・・・)

しかし、中には、作りたくもない音楽を作らなければいけない状況で、日々過ごしている人もいるのかもしれません。仕事というものは、どんなものでも基本的には、お客さんの要望を形にするものだからです。

しかし、本来芸術というものは、人間のためにやる、ということも含まれますが、本来はもっと霊的な何かに向けてやるものだと思います。

ヒットソング以外にもいい曲というものはたくさんあるものですし、いい曲がどこで生まれるかなんて誰もわかりません。

プロがすべていい曲を作れるとは言えない時代です。全く音楽を作ったことのない人が口ずさんだメロディを楽曲にしたらすごくいい曲ができるということもあり得るわけです。

知識がたくさんあれば、長い時間音楽に携わっていれば、誰もがいい曲をかけるようになるわけでもないわけです。それだったら、全ての高齢の作曲家が、世紀の名曲を毎日のように作っていてもおかしくないわけです。

それでも、今日もどこかで素晴らしい曲が生まれて、わずかな人たちの間で聞かれて、奏でられて、あるものは口づてで広まっていき、ある曲は、広まることはなく、ひっそりと聞いたわずかの人たちの心の奥底へ消えていくものです。

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プロフェッショナルとアマチュアの違いは色々と言われますが、個人的には鑑賞者が何を持ってそう呼ぶかだけが重要だと思っています。

プロフェショナルと呼ばれることで、社長やお医者さんが無条件で「偉い人」に見えるような錯覚があるように感じますが、そのことには違和感を感じます。

プロかアマか?といったそんなわずかな違いにいちいち左右されていては、楽しいものも楽しめません。

とにかく確実に言えることは、今回の発表会を見て感動したことは事実であり、ステージ上から伝わってきた熱意に、感動し、素晴らしい思ったことは確かだということです。

それ以外に「卵が先かニワトリが先か」のような「プロかアマか?」という不毛な議論が必要でしょうか?

「バレエとピアノのコンサート」で出会ったバレエ音楽「眠れぬ森の美女」第1幕ワルツ

最近、音楽というものはとてつもなくパーソナルなものだと思い、あらゆるヒットソングというものに興味がなくなってしまいました。

それでも普段生活している中で、ひょんな事から飛び込んでくる音楽があります。

以前は、たくさんのCDを購入して、たくさんの音楽を聴いていましたが、今では音楽を買わなくても、いつのまにか流れてくる音楽に感動したり、感銘を受けたり、涙を流したりします。そして、今も昔も、今必要な曲はそんなに多くありません。

10曲くらいが、ここ3ヶ月くらいずっとぐるぐる回っています。それは、演奏家として覚えたい曲や、作曲家として作った自分の曲。人づてに聴いた素敵な曲。仕事上必要があって聞く機会があった曲。ほとんどこれらの曲が入れ替わり立ち替わり、自分の周りをぐるぐるしています。そして、きっと3ヶ月もすれば、そんな曲たちの一部分は記憶の中へ消えいき、思い出されることもなくなるのです。

それが、音楽と人間との関わり方のようで、個人的にはその関わり方はとても心地がいいと感じます。出会うべくして出会った人やもののように、音楽はずっと身近なところにあることが単純に心地いいものです。

タエバレエスタジオ主催の「バレエとピアノのコンサート」のおかげで、私が出会うべくして出会ったのは、アンコールで流れた「シング シング シング」ではなく、チャイコフスキーの「眠れぬ森の美女」第1幕の「ワルツ」でした。

「バレエとピアノのコンサート」ではピアノの連弾で演奏されていた曲です。

実は初めてバレエの「眠れる森の美女」の全体を知りました。

そのあらすじを書かせていただきます。

プロローグで、邪悪な妖精カラボスから予言と呪いをかけられたオーロラ姫が、第1幕でその予言通り、舞踏会の中で100年の眠りにつき、第2幕でその100年後に、王子が口づけをしてオーロラ姫を眠りから目覚めさせて、第3幕でその王子と姫の祝宴が開かれるというのが、大まかなあらすじです。

そして、「バレエとピアノのコンサート」で使われたワルツですが、正式には「村人の大ワルツ(別名 ガーランド・ワルツ)」というそうで、オーロラ姫の20歳(または16歳)の誕生日のお祝いの席での村人たちが、踊ったという場面のようです。

この踊りの途中で、カラボスの思惑どおり、オーロラ姫は針で指を刺して命を落としてしまうわけです。そうおもうと、優雅な曲調のワルツがなんだか危険が潜んだ罠のようにも聞こえてきます。

このように、曲の背景を知り、物事を深く知るということは、日々の生活にも深みが増すものだと思います。

芸術はお金儲けや、見栄や名声のためにやるものではない、という雰囲気が流れていた「バレエとピアノのコンサート」のようなことをもっと積極的にやっていきたいと改めて感じさせてもらった発表会でした。

そして、何より主催者や演者の方々の話を聞くと、その熱意のみが、この会を成功させたように思えます。

そんな、タエバレエスタジオもプリマヴェーラグループの仲間です。興味を持たれた方は公式ホームページをのぞいて見てくださいね。

タエバレエスタジオ 公式サイト

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